擬態語というのは、その修飾先を補強し、より具体化するために使うものであって、さらに言えば、内容を一層細かく分けるために使うものでしょう?例えば、「ゴクゴクと飲む」と「グビグビと飲む」があったとして、ゴクゴクは水や牛乳、炭酸飲料じゃないっぽい、健康によさそう、もしかしたら腰に手を当ててるかも…など、かたやグビグビは、酒の類、健康的ではない、やさぐれてる、飲み終わったあとのゲップは臭そう…などなど、と言った具合に、要するに、どんな「飲み」なのか分類してるわけです。大抵の擬態語はそう。
ところが、「すべる」に係る「つるつる」ばかりは、なんにも分類してない。だって、「つるつる」じゃない「すべる」は無いから。「すべる」ってことは「つるつる」ってことだから。「そばを食う」ときの「つるつる」はいいんですよ。「つるつる」じゃないそばの食い方だってあるでしょう。「ずるずる」とか、酷いのになると、「ずりゅずりゅ」とか。いや、すすらなくたってそばは食えるんだから、「ぼそぼそ」でも「むしゃむしゃ」でもいいわけです。「そばを食う」ときに関しては、「つるつる」はちゃんと仕事してる。ところが、「すべる」と一緒にいると、なんか安心しちゃうのか、すっかりサボるわけですよ、分類してくれないんですよ、「つるつる」は。

なんでそんなこと思いついたかというと、夜にこみせ通りを散歩してて、娘がやたらと「つるつるすべる」と言うものだから、この七音に軽くゲシュタルト崩壊を起こしてしまったからでした。
写真はそのときの様子です。